古居みずえ×渡辺えり (完成記念トークイベントより)

「パレスチナの人びとに親近感が湧いた」
『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』完成記念トーク・イベント
古居みずえ(監督)×渡辺えり(女優・演出家)

2010年12月18日、東京神田にある明治大学リバティタワー内の教室で行なわれた『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』の完成を記念したトーク・イベントのレポートです。
※本文は古居みずえパレスチナドキュメンタリー映画支援の会より提供頂きました。

◆自分たちに何ができるかと自問
「古居みずえ対談シリーズ」の記念すべき第一回目のゲストは、女優であり、演出家でもある渡辺えりさんでした。今回は進行役を日本国際ボランティアセンター(JVC)の藤屋リカさんにお願いしました。
えりさんは、事前打ち合わせでどんどん質問してしまったそうですが、その理由を「以前、自分は(パレスチナのことに)無知であった。パレスチナやガザのことを知れば知るほど、そこに暮らす人びとに親近感が湧き、自分たちにどんなことができるのか、との思いが強くなって、打ち合わせの時も古居さんにどんどん質問してしまった」と話されました。渡辺えりさんには、『ガーダ 〜パレスチナの詩〜』の時から支援の会にお力添えいただいています。
『ガーダ』を観て、そして、今回の『ぼくたちは見た』を観て感じること……山形出身のえりさんには、ガザの人びとの暮らしぶりが自分の田舎を彷彿させると言います。まだコミュニティが機能していて、情の濃い人びとがたくさんいて、家族を大事にする雰囲気。人を放っておけない人ばかりで「親戚のおばさん達にあったような気持ち」と表現されていました。

◆パレスチナの人びとも私たちと同じ
イラク戦争の頃から「非戦を選ぶ演劇人の会」を演劇界の有志で立ち上げ、リーディング(朗読)劇を毎年続けてこられた渡辺えりさん。そういう中で、パレスチナと関わっている古居さんや土井敏邦さんに出会ったと言います。
「芝居をすることになって、関連の本を読んだり話を聞いたりして、まだまだこういう苦しみがあったんだ、という強い衝撃を受けましたね。その当時、だいたい十年くらい前って、ちゃんとパレスチナ問題を知る演劇人は誰もいなかったんです。今も、情報番組に出演していますが、そこでご一緒しているテレビ局のアナウンサーでも、パレスチナの詳しい問題については知らない。一般のジャーナリストが理解していない印象があります。イメージだけが先行するなかで、私は古居さんの映画に助けられた。 そこに暮らす人びとの具体的な姿が伝わってきた。苦悩が理解できた。彼らも私たちと同じ。泣いて、笑って、歌って、そういう暮らしがよくわかったんです」と。

◆フリーでなければできない仕事
古居さんは、今回の映画にも「私たちと変わらない人びとが暮らしているガザの現状を少しでもわかって欲しい」という願いを込めているそうです。
「えりさんが言ったように、ガザの人びとって、本当に人情に厚いですね。えりさんなら、ガザに行ってもすぐに溶け込めるのではと思います。えりさんに出会って山形の女性たちの話を聞いて、逆に私は、ガザの女性たちと同じなんだな、と山形の女性たちに親近感を覚えました。『ガーダ』は女性の生き方を通して『現場』を知ってもらいたいと思いました。今回は、子ども達を通して、ガザ攻撃も含め、そこで何が起こり、その後、どのように人びとが暮らしているのか、それを伝えたいのです」。
そこで、えりさんから「ガザのことって報道されなくなっていますよね。日本でパレスチナのことが報道されない原因ってなんですか?」との質問が出ました。
古居さんからは、「報道はされていると思います。でも、それは大きな攻撃の時だけの報道なんですよね。攻撃が終わると報道されない。だから、日本の人は『パレスチナは平和になったんだ』と勘違いさせられている。でも、本当は、封鎖が続き、復興もままならず、今の方がずっときつい暮らしなんです。だから、私はそういう人たちの生活を伝えたいと思います。定点観測のように、長期間腰を据えて現場に留まって、そこに生きる人びとの様子をしっかり取材し、伝える仕事は、フリーでなければできない仕事だと思います」と力強い答えが返されました。

◆それぞれの人が自分のできることを
その後、日本の私たちの支援の話に移りました。えりさんは、一昨年、パレスチナ人の方々を家に招いて、直接お話しをする機会があったそうです。
「彼らも非常に知的な立派な方々でした。『ぼくたちは見た』を見ても、子どもたちが利発そう に話している。ただ、ガザの人たちは自分のやりたいことをしたり、留学したりといった自由がないんでしょう。おせっかいおばさんとしては、私たちができる支援って何? とすごく思ってしまうのです。何ができますか?」情の厚いえりさんらしい質問でした。
古居さんは、「彼らが自由になることについて、実際、私たちのレベルで何ができるのかは難しいと思いますが、彼らも自由に生きたいという願いを持っていることを私たちの多くが知っていくこと、感じていくことは大事なことだと思います。
十二歳の少女が、『封鎖が解かれなくてもいい。支援が無くなってもいい。今、私たちに何が起こっているかを知って欲しい』という場面があります。これは、本当に私も気持ちが痛かったです。実際、支援がなくてもよいのかと問われれば、もちろん支援は必須でしょう。でも、支援を受け多少の生活が補償されることは、ガザの人びとの本当の願いではないんです。私は、自分ができることをしようと思っています。それは、私が、彼らの肌感覚、本当の彼らの声を知らせていくこと。これが私の役目だと思うから。だから、えりさんも、非戦を選ぶ演劇人の会でパレスチナを含め平和を願うリーディングをされている。それぞれが、自分のできることをやることが大事なんだと思います」。と答えました。現地で、ガザの人びとにがっちりと関わっている古居さんだから、ガザの人びとの本当の願いを語っても説得力があります。古居さんの「支援ではなく、自分たちで生きたい。普通の生活がしたい。ガザには、ただそれだけを願っている、私たちと変わらない人びとがいる」という言葉は、他者から与えられるものだけでの暮らしで人は尊厳を維持し続けることは難しい、人間らしく生きるとは、どういうことなのかを伝えてくださったと感じます。

◆居心地が良いと感じさせるパレスチナ
最後になり、えりさんが「誤解を恐れず言いますが、非常に凄惨な状況で生き抜いている人びとを前には言ってはいけないことだとも思うのだけれど、映画を見て『そこに暮らしてみたい』と思う自分がありました。それは、自分が生きている今の日本に(ガザの人びとが持つような)愛情深く迎えられる眼差しがない時代なんだからでしょうか。
今度、虐待を扱った芝居をするのですが、そこで出合う日本の現実はあまりに殺伐としている。だから、ガザの人たちの方が幸せに見えてしまう複雑な気持ちが湧いたのですが」。と勇気ある感想を述べられました。
古居さんも、そのことについて「私もそう感じることはあります。初めてパレスチナに行って、五か月間居候してしまうくらいですから。居心地がいいと言うか、それほど居させるものがあるわけです。
日本は、田舎でもそういう感じは無くなりつつありますね。そういう感じとは、具体的に言えば、人間らしさとでも言うのか、シンプルなことなんです。子どもや年寄りを大切にする、とか、近所の人とのやり取りがいっぱいあるとか」。とガザへの感じ方を共有されていました。

◆自分も加害者になる危機感も感じた
対談のまとめとして、えりさんが「自分の環境が大変だからこそ相手を思いやれるということもあるんだと感じます。それを、この映画を見ながら一緒に学んでいきたくなりました。自分を思い、相手も思うような気持ちを学ぶために」と『子どもたちは見た』の講評をしてくださいました。「そして、人間はいつでも加害者になる可能性があると思うんです。映画の中に、イスラエル兵が破壊した家の散らばった家財道具の中にあったコーランに便をしていったことが出てきました。普通はしないですよね。でも、そういう立場や場面になったらやってしまう。私だってそうかもしれない。こんなおせっかいおばさんだから、もし自分の国が戦争になったら、地域のリーダーになって、竹槍訓練とか『もっと強く突き刺しなさい!』なんて感じでやってしまうのではないかと思って恐い。
他の映画でも観ましたが、イスラエル兵だって普通の人でした。侵略戦争の兵隊だった日本兵だって普通の何気ない人。そういう人が、置かれた立場や場面によってはやってしまうという危機感を、自分自身に突きつけておくためにも、古居さんの映画はとっても大切だと思っています」とも。
えりさんのまっすぐで温かいお話。古居さんの力強いメッセージ。短時間ではありましたが、第一回目にふさわしいすばらしい対談となりました。         
(まとめ・土井幸美)

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